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2013年4月 7日 (日)

国語辞典をひくことの無いことばの各人の背景からの意味

セラマッパキ゜ー!

昨日のヒッポファミリーでは、
フレンチトーストの作りかたを
韓国語とインドネシア語でやりました。

牛乳と卵をボールに入れて、混ぜる。
その、「混ぜる」の音は
ピピンセヨ だったり、チャンプルー だったり♪

おもしろいよね(^^)
楽しかった!

赤ちゃんが母語を獲得していくプロセスに
辞書は登場しない。

最初に、聴こえてくる音があり
その音と伴に、くり返し起こるシチュエーションがあり
それに対して、自らが意味をだんだん見つけていく。

リラックスした場だと、本当に鼻歌を歌うように
それは、楽楽と、
文字通り楽しく、楽チンに獲得されていくのだろうな~
(口角が上がった笑顔に近い状態で?)
何度でも起こってほしくて、何回もくり返すのが楽しいだろうな。

でもそれが、何か緊張を伴うシチュエーションだと
まずは、身体が硬くなり、本能で自分を守るのが1番になりそう。

そんな時は、まねをすることは、避けたい、
できれば、もう2度と起こって欲しく無い
=聴きたくない状況になるんだろうな。

本当は聴きたくないけれど、何度も起きてしまう状況が
くり返されたら、人は生きていくために
上手に受け流したり避けたりすることを覚えていくしかないだろうな・・・

そんな、感じて動くことが
ことばの元になっているような。。。

そして、それは、辞書にあるようには
各自に同じようにライブでは起こらない場合も多々あるだろうな。

辞書はただの取り決めだからね。

だからなのか、最近
日常生活の中で、簡単な
辞書を改めてひくことの無いことばを
相手との会話の中で擦り合わせるのに
とても苦労することがある。

そして、そこには、
お互い譲ることのできない、リアルな背景が
実体験として付いているのだから、始末が悪い。

相手のことばを相手のことばとして
当たり前に受け取ることができないのだから・・・

そんな小さな混乱は、
お互い人間だから、
どんな母語を持つ人とも起こること。

だから、Crative Imagenation 創造的想像が大切なんだろうけれど

でも、疲れないように
擦り合わせがお互いに簡単だといいよね。

それは、母語が違うという条件よりも

自分が育った環境では、
適切なことばが使われていたのかどうかという条件の方が
大きいように感じる、今日この頃です。

共感してくださる方、いてほしい!

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